日语笑话段子(日语笑话段子日语趣味阅读——日语笑话)
第三部分 阅读理解
ととの目
昔(むかし),三太(さんた)という,ばかな息子がおりました。ある日,親父(おやじ)の留守(るす)に,人が訪ねてまいりました。三太は,玄関(げんかん)に出ると,「親父は,ただ今,留守でございます。お前様は知らぬ人だから,家にあげるわけにはいきませぬ。」「そうかそうか。三太さんとは,知り合いではないがね,親父様とは,知り合いだから,しばらく待たしてもらいましょう。」と言いますと,息子の三太,しばらく考えていましたが,すっと奥(おく)に引っ込む(ひっこむ)と,親父の眼鏡(ねがめ)をかけて出てきました。それでよくよく,客を見てから,「この,ととの目で見ても,お前は,やっぱり知れぬ人だ。」
幽默译文:爸爸的眼从前,有个名叫三太的傻儿子。有一天,爸爸没在家时,有客人来访。三太来到门口说:“我爸爸不在家,你是我不认识的人,所以我不能让你进屋。”“是啊,是啊。我跟你三太是不认识,但我跟你爸爸是认识的,所以让我等他一会儿吧。”三太听了,想了想,嗖地一下子就缩回屋里,戴上他爸爸的眼镜出来仔细看了半天,然后说道:“用爸爸的眼看,你也还是不认识的人。”(注释:“とと”是幼儿语,意思是“父亲”、“爸爸”。)
用心植木(うえき)の大好きな旦那(だんな)がおりました。ある日,柳(やなぎ)の木を十本(じゅっぽん)ばかり庭に植(う)え込みましたが,どうも子供が来て,いたずらをするような気がしてなりません。そこで,用心(ようじん)に,小僧(こぞう)を一人,植木の番(ばん)につけました。何日(なんにち)か経って,旦那が小僧に聞きました。「子供が来て,夜,柳の木をひっこぬいたりしなかったかい。」「はい,そういうことがあると困(こま)るので,用心のため,夜は,抜いてしまっておきました。」
幽默译文:预防万一从前,有一个非常喜欢种树的店主。有一天,他在院子里种下了十几棵柳树,可总是觉得小孩子们可能会跑来淘气,于是,为了预防万一,他就派了一个小伙计看守这些树木。过了几天,店主人问小伙计:“没有小孩子晚上跑来拔柳树吗?”“是的,老爷。假如发生了那种事情就麻烦了,为了预防万一,夜晚我都是事先把柳树拔下来的。”
やぶ医者
向こうから,お医者(いしゃ)がやってきました。そこへ店(みせ)の小僧(こぞう)が,かけてきてぶつかり,医者は,弾み(はずみ)でで転(ころ)んでしまいました。「ああ,危ないではないか,これ。」医者は立ち上がって,小僧の襟首(えりくび)をつかまえ,手をあげて叩(たた)こうとしますと,小僧が,「足で蹴(け)るのは構(かま)いませんが,手でぶつのだけは,ご勘弁(かんべん)ください。」と言います。医者は,可笑(おか)しなことを言うものだと思って,「はて,なぜ,そのようなことを言う?」と聞くと,小僧,「足で蹴られても,命(いのち)はなくなりませんが,お手にかかると,とても助(たす)からないと,もっぱらの評判(ひょうばん)でございますから。」
幽默译文:庸 医从对面走来一位医生,正在这时,店里的小伙计跑过来撞上了他,医生一下子被撞倒在地上了。“啊,这不是太危险了吗?”医生站起来,揪住小伙计的脖颈抬手就要打。小伙计说道:“用脚踢没有关系。请您饶了我,就是别用手打。”医生觉得他说这话很奇怪,就问他:“你为什么这么说话?”小伙计回答说:“挨您脚踢,总不至于丢了性命,人家都说,要是落到您的手里,那可就没救了。”
遺言(ゆいごん)
あるところに,たいへんへそまがりな息子(むすこ)がおりました。親父(おやじ)が病気になり,もう死ぬという時に,息子を呼んで, 「もはや,わしも,この世(よ)におさらばじゃ。いっておくが,わしが死んでも,必ず(かならず)、葬式(そうしき)などはするなよ。こもに包んで(つつ んで),川(かわ)へながせ。」と,心にもないことを言いました。
実は,この親父,前前(まえまえ)から,息子のへそまがりぶりを知っていましたから,遺言(ゆいごん)は,反対(はんたい)の事を言っておけば,立派(りっぱ)な葬式をするだろうと思ったのです。ところが,親父の遺言をじっと聞いていた息子,「安心してください。これまで,親(おや)のいうことは,何一つ(なにひとつ),聞かなかったから,せめて,一生(いっしょう)に一度ぐらいは,言われた通りにしましょう。」
幽默译文:遗 嘱在一个地方,有一个脾气很倔的儿子。父亲生病临死前,将儿子叫到身边说:“我已经快要告别这个世界了,记住,我死后一定不要举行葬礼。把尸体卷在草席里扔到河里去。”其实,这些并不是父亲的真心话。他早就知道儿子和人做对的怪脾气,所以想如果在遗嘱中说反话,也许能够使儿子为他举行一个隆重的葬礼。可是,儿子认真地听了父亲的遗嘱后说道:“请您放心。以前我没有听过父母的一句话。至少,在一生中,我要有一次按照您说的去做。”
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